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ついに達成!

20130826223257-17.jpg


あることをしたら、ついに0.00ppmの向こう側、0ppbに辿りつきました~。

それなりに魚がいて、ZEOでもバイオペレットでもなくてもリンゼロが可能という事でしょうか。
給餌量も特に絞っていませんぜ。


ま、一回だけ出ても、これが続かないと何の意味もないですけどね。


それに、目的はあくまで「リンゼロ」ではなく「サンゴの色揚げ」です。
リンゼロは目的ではなく色揚げの為の手段ですから、数字にとらわれ過ぎてはいけません。

「何をしたらどうなった」という指標に過ぎないのです。


リンがゼロだからといっても須くサンゴが激美になるワケではありません。
現にウチのサンゴは激美ではありませんwww


逆に、リンが出ていてもサンゴがキレイなら良いのです。




そしてまた新たな事に挑戦中・・・。


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[ 2013/08/31 ] 水質のこと。 | CM(8)

子供が産まれてから10日経った日のこと。


まさか自分の人生にこんなことが起こるなんて・・・考えられなかった。


理解ができなかった。

感情が湧かなかった。

現実感がなかった。


頭が真っ白になることすら、時間が経ってからだった。








無事に子供が産まれてから10日ほど経った日。

妻が母乳の検診の為、息子を連れて出産した産院に行った。
妻曰く、どうもその日の息子は朝から顔色が悪く、ぐったりしていて元気がなかったらしい。
母乳の吸いも悪かったらしいが、前夜までは特に異常は感じなかったということだった。


産院に着くとやはり顔色が悪いと言われ、体内の酸素濃度を測定してみるとかなり低かったそうだ。

通常、新生児であれば98-100(%)であるところ、息子は産まれた時から90前後で、2日を保育器で過ごした。
様子を見て問題がなさそうだったので、出産から3~4日ほどで退院した。


その日の値は聞いていないが、おそらく90よりもずっと低かったんだろう。
緊急性があると判断されたらしく、すぐに大きな病院で診てもらった方が良いと紹介状を書いてくれた。
待たずに診てもらえるよう、救急車での搬送をも勧められたそうだ。



それは小児専門の大きな病院だった。




この時点で妻から私へ電話がきた。
妻は泣きながら説明をしてくれたが如何せんまだ詳しいことが分からないので、私が理解できたのは「救急で大きな病院への搬送が必要な状態である」という事と、妻が軽いパニック状態になっている事だった。


妻は「母が同行してくれるのであなたは来なくていい」と言ったが、妻の様子を考えるとそうもいかず、とにかく詳細を把握しようと思い会社に事情を説明して搬送先の病院へ向かった。


妻の混乱状態と詳細が分からない現状に動揺した私は気が焦りつつも、いつも以上に安全運転を心掛けた。
こんな時に事故でも起こそうものなら大変だ。
「急いでも息子の容体に関係はないのだから、事故を起こさぬよう確実に着くこと」という言葉と深呼吸を繰り返しながら病院へ向かった。



なぁに、大したことないさ。
きっとちょっと具合が悪くなっただけに決まってる。
やらなきゃいけない仕事もあるし、様子を見たら帰ろう。


そう信じていた。
しかしその思いは脆くも崩れ去ることになった。






病院へ着くと息子を抱いた妻と義母がいた。
まだ診察待ちの状態らしい。
産院が待ちなしで診察してくれるよう取り計らってくれたらしく、救急車ではなく自家用車で来たとのこと。


息子の様子はパッと見た感じでは普通で、スヤスヤ寝ていた。
ただ確かに顔色は悪かった。


妻が産科医から聞いた話をしてくれた。
もしかしたら心臓に問題があるのかもしれないと言われたらしい。

心臓・・・とても嫌な場所だ。
妻がパニックになっていたのが分かった瞬間だった。



待ちなしという割には結構待たされた。
私が病院へ到着してからも20分は経った頃だろうか。
やがて診察室へ呼ばれた。


妻が経緯を医師(内科医)へ説明し、まずは聴診器を当てた。
その後すぐにエコーを見ますと言われ、検査室へ移動した。


エコーの機械の表示画面はとても暗かったので、なるべく画面を正確に読み取る為か、部屋はとても暗かった。
例えるなら、日中の遮光カーテンを閉め切った部屋のような暗さだ。





技師(医師)と助手のような人たちが合わせて4~5人は居ただろうか。
助手のような人たちは画面に見入っている。

私は少し違和感を感じた。


実際に機械を操作しているのは1人だけだ。
それなのに、ただの検査にこんなにたくさんの人が必要なのだろうか。

もしかして、「稀な症例なのでよく見ておくように」とでも言われたのだろうか、と思った。
とは言え検査開始時から居たので、診察に見落としが無いよう、それが通常なのかもしれないが今となってはわからない。



我々夫婦もその場に居たが、当然画面を見ていても何が何やら全くわからない。
画面には心臓が拍動している様子が映し出されていた。


医師達は目の前で、画面を指差しながらマスク越しにごく小さな声でひそひそと話している。

「狭くなってる・・・」「ここが・・・」


話しているのはわかるが、声が小さく内容までは聞き取れない。

診察時間は把握していなかったが、とても長く感じた。
体感的には20~30分ほどに感じた。

私は日頃の寝不足がたたり、薄暗さも手伝って少しの眠気に襲われてしまった。
この時はまだ、しばらく寝られないことになるなんて想像もできなかった。


エコーが終わると次は心電図検査の部屋へ移動した。
心電図検査はものの数分で終了した。






その後、待合所で診断結果を聞く為に待っていたら看護士の方が来て、


「ご主人は今日はお休みですか?」


と聞かれたので


「いえ仕事です。」


と答えた。




「今日はこのまま居られるんですか?」


「いえ、仕事が残ってるので帰ります。」


「えっと・・・このまま居るのは難しいですか?」


「え?」


明らかに帰られては困ると言いたげな様子だったので私は不思議に思ったが、その理由はすぐに判明した。

診察室に呼ばれた我々に、先の内科医から診断結果を知らされた。










「結論から申しますと、とても重い病気です。命に関わります。」


医師は真剣な眼差しで、私の目を真っ直ぐに見てそう告げた。


















(は?)






理解ができなかった。
妻と息子は妻の実家で過ごしていた為、私はまだ数えるほどしか息子を抱いていない。
父親になった実感すらまともに湧いていないのに。


病気?
障害じゃなくて?
まだ産まれてから10日しか経ってないのに病気になんてなるのか?


命に関わる?
死ぬってこと?
この産まれたばかりの自分の子供が死ぬってこと?


子供が死ぬって何だ?

死んだら俺達どうなるの?


??????????








「すぐに緊急手術が必要です。難しい手術になります。」



感情が湧かなかった。

なぜだろうか、悲しみなど全く感じなかった。
医師の説明が続く中、妻はひどく狼狽し、息子を抱えながらボロボロと涙を流しているのに、私はどこか他人事のように感じていた。

医師の説明がすんなりと頭に入ってくる。
不思議と、ただただ冷静だった。





「今日すぐに手術ができるかどうか、外科と連絡を取りますので少し待機していて下さい。」


現実感がなかった。

こんなテレビドラマのような出来事が、自分の人生に起こるはずがない。
どこかに台本があって、自分はそれに沿って進行しているだけだ、と。

リアルを一切感じなかった。







診断された病名は、「総肺静脈環流(そうはいじょうみゃくかんりゅう)異常症」だった。

医師の説明によると息子は心臓に生まれつきの疾患があり、肺を通った血液が正しいルートで心臓に戻っておらず、
酸素を含んだ血液がうまく体に行き渡っていない為、酸欠状態に陥っているとのことだった。


生まれつきなら奇形ってことじゃないのか?
それはつまり障害ではないのか?


私は医師に尋ねた。

「(障害ではなく)『病気』・・・なんですか?先天性の?」

医師は答えた。

「『病気』です。生まれつきの病気です。」



今起きている症状は、心臓の疾患による「心不全」、肺を通った後の血管の狭窄(狭くなっている)による「肺高血圧」、「肺鬱血」、そしてそれに伴う「酸素欠乏症(チアノーゼ)」だった。


医師は続けた。


「すぐに手術が必要です。
この病気は一度悪くなり始めると、階段を転げ落ちるように悪くなります。
このまま手術をしないと、1ヶ月は生きられません。」と。


それを聞いた妻と義母はさらにショックを受けていた。
妻の目から零れる涙の量が増えた。



新生児が心疾患を抱えている割合は、軽症のものを含めるとおよそ100人に1人だという。

この病はそのうちの1-2%だと言われた。

つまり新生児1万人に1人か2人の確率だ。



しかしこの病、数字こそ稀ではあるが歴史としては以前から症例があり術式はある程度確立されていて、
昔は(助けるのが)かなり難しい手術だったが近年での手術成功率は80-90%くらいです、と言われた。

その刹那、私の背後に居た妻と義母からは安堵の吐息が漏れたのを感じたが、私は愕然とした。




「なんて低いんだ・・・」





つまり逆に言えば10-20%は失敗、つまり死亡するという意味だ。

最大値を取れば20%、1/5だ。

悪く言えば5人に1人は死亡する手術なのだ。


命を預けるにはあまりにも過酷で分が悪い数字じゃないか。

私は覚悟をする必要があるのかもしれない、と感じざるを得なかった。




ただ幸いにも、その当日に手術が受けられることとなった。

それだけ急を要するという意味でもあるのだろう。






手術の概要はこうだった。


心臓手術の為、一度「人工心肺」に切り替える。

人工心肺とは心臓(血液の循環)と肺(酸素補給)の役割を担う機械で、動脈と静脈を一旦心臓から切り離し、機械に繋げて、酸素濃度などをコントロールしながら手術中の心停止を乗り越えるためのもの。
要するに人工の心臓と肺だ。


さらに心臓が動いていると手術ができない為、麻酔(筋弛緩剤)で心臓を止めるという。

その間に疾患箇所を処置し、再度人工心肺から心臓へと繋ぎ直す。



麻酔は3種類。

意識を取る麻酔、痛みを取る麻酔、そして筋肉を動かなくする麻酔。

そして強心剤や血管拡張剤などあらゆる薬を投与するし、更に体の血が丸々入れ替わってしまう以上の大量の輸血が必要らしい。


手術は麻酔などの準備を含めると推定でも6時間以上はかかるという大手術。




それを生後10日の新生児が受けるという。

生後10日の新生児にそんな手術が可能な事にとても驚いた。

体重は3kg程度しかない。





この日、私が病院に到着したのが午後2時前後。

診察を終え、手術が決まったのは午後5時頃だったと思う。

それから各説明を受け、事務手続きを済ませた。

すぐに麻酔などの準備に入り、いよいよ手術室に運ばれていったのは午後7時が過ぎた頃だっただろうか。




あまりにも急展開すぎて理解が追いつかない。

いつもの日常からわずか数時間後に、息子が命に関わる大手術を受けることになってしまったのだから心の準備もくそもない。




手術室へ運ばれる途中に面会ができたが、息子はすでに麻酔で眠っていた。

手術室の入口には大きな扉があり、その先にいくつかの個別の手術室がある。
息子はその一番奥の部屋で手術をするとのことだった。

廊下の奥へと運ばれていく息子を見届け、私たちは退出した。




(まさか生きている息子を見るのはこれが最後だった、なんてあり得ないだろうな?)

負のイメージが頭をよぎる。





2人で控え室に戻ると、妻がシクシクと泣いている。

私は懸命に励ました。

しかし、ありふれた言葉しか出てこなかった。




そして泣いている妻を励ませば励ますほど、私は冷静になっていった。

自分がひどく冷血に思え、自分の頭はおかしいのかとさえ思った。




やがて義父も駆けつけてくれたので、私は理解の乏しい中、できる限りの説明をした。

支度の為に一度帰宅した義母もやってきた。




手術自体は4-5時間かかるとのことだった。

早くても、終わるのは日付が変わってからだろう。



そして午後7時53分、手術が始まったと連絡が入った。




長い長い、とても長い時間が始まった。








手術が始まったというのに、未だに実感がない。

他人事のようにしか感じられない。

脳が感受性のスイッチを切ってしまっているように感じた。




私の実家からは少し遠いし、来ても何もできないから私は両親に「来なくていい」と言ったのだが、心配性の母は耐えきれず病院に来てしまった。



全員で控え室で待機していた。



義父は仕事の疲れか、仮眠を取っていた。

2人の母は雰囲気が重くならないようにと気遣ってか、雑談を続けていた。

やはり母親は偉大だと思った。

食事を取るよう勧められたが、とてもじゃないが食べる気など起こらなかった。

妻は両親が来てからは少し落ち着いたのか、泣くことはなくなった。




9時・・・10時・・・


刻々と、ただ時間だけが過ぎていった。

嫌なイメージばかりが脳裏をよぎる。

妻も同じなのか、幾度となく頭を振っていた。





妻が落ち着きを取り戻してから、私は返って落ち着かなくなり、何度もトイレに立った。


トイレと控え室の往復を重ねた何度目かのうち、ふと控え室に戻る気が起きず、同フロアにある手術室の入り口前に立ち尽くした。

子供専門の病院なので、院内の至るところにキャラクターや動物などが大きく描かれている。

目の前の大きな扉にも、いくつも描かれていた。


それがかえって私の悲しみを誘った。





そして私は扉の正面の壁際にしゃがみこんだ。



祈る。


祈る。


祈る。



祈ることしかできなかった。


しかしいくら祈ってみたところで、手術には何の意味もない。

ただただ無力だった。




それでも、わかってはいても、祈ることしかできなかった。

祈らずにはいられなかった。




すると突然、無性に悲しみがこみ上げてきた。

私はひとり、声を押し殺して咽び泣いた。



どのくらい経った頃かわからないが、妻が心配して私のところに来た。

それでも涙が止まらなかった。



妻は、先程私が励ましたのと同じように、私を励ましてくれた。

そして、家族が心配するといけないからと、妻は一足先に控え室に戻っていった。




しばらくしてから、私も控え室に戻った。





時刻は0時を過ぎ、日付が変わった。


予定では手術は4-5時間、開始は8時頃だった。

早ければ、そろそろ終わる頃だろう。


異常事態が起こらなければ。


ここまで何の連絡もないという事は、何も起きていない、順調という事なのだろうか。
そうだったらいいのだが。



私はまた手術室の入り口の大きな扉の前に行き、しゃがみこんだ。

やはり祈ることしかできなかった。





そして0時半頃、その扉から1人の看護士らしき女性が出てきた。

私が顔を上げると、「○○さんですか?」と聞かれたので「はい」と答えると、


「手術は終わりに向かっています。人工心肺もおりています」

(「外れています」=自分の心臓で生きています、という意味だと解釈した)


と言われたので、「本当ですか!問題はありませんか!?」と尋ねると


「今のところは予定通りに、問題はありません」


「あとどのくらいかかりますか?」


「傷を閉じたりするまでに早くても1時間、その後体を綺麗にしたりするので、面会できるのはそれ以上にはなっちゃいます」


そして看護士さんは手術室へ戻っていった。



私はすぐに控え室に戻り、今聞いたことを皆に報告した。

ひとまず手術が無事に終わりそうだという喜びを分かち合った。




それから1時間半ほど経過した頃、手術が終了し面会が可能になったことが告げられたので、私と妻は手術室と繋がった集中治療室(ICU)で術後の息子との面会を果たした。



ICUと聞いてテレビなどでよく見るガラス越しの個室のようなものをイメージしたが、
実際には広い大部屋のような感じでベッドが5-6台、横並びに置いてあり多くの医師や看護士が行き交い、思っていたよりオープンな雰囲気だった。


とは言えやはりたくさんの機器が並んでおり、あちこちから機械の動作音や酸素ボンベなどの色々な音が発せられていた。





面会と言っても息子はまだ麻酔が効いている為、眠っていた。

そして息子は鼻、口、両手、腹部、下腹部、首など、とにかく管まみれの姿だった。


心臓はペースメーカー、呼吸は人工呼吸器、点滴や輸血は計15本以上もの数だったが、息子は生きていた。




当初の手術目的は達成したことや今の状態について、今後のリスクや治療についてなどを医師が説明してくれた。


子供はどうしても泣いたりするので、極力心臓への負担を避けるため、あえて意識は戻さないらしい。
目を覚まさせるのは何日も後です、とのことだった。





手術前、大きな関門は二つあった。

一つは手術そのもの、もう一つは手術直後の異変だった。


体の血液が丸々入れ替わるほどの輸血や、多種多様の薬の投与、抵抗力低下による感染症の危険、人工心肺の影響による多臓器不全の可能性、そして何より「突然今までとは違う動きをする心臓」など、術後4日間ほどはとても不安定な状態らしく、容体が急変する可能性もあるとのことだった。


「すぐに連絡が取れるようにしておいて下さい」

医師はそう言った。

これほどまでに電話が鳴らないことを願ったことはなかった。


まだまだ安心できる状態には程遠いが、今は手術が無事成功したことを喜ぼう、と妻と二人で励まし合った。



今夜はもう帰宅してよいが、また明日(今日)の午前中にはもう一度来て下さいとのことだったので、妻は両親と実家へ、私は母と二人で家路についた。

母を実家を送り届けた頃には、午前4時を過ぎていた。



そして私は仕事をほっぽり出してきたのでそのまま1人、出社。

どうしても急ぎの仕事があり、この日の休みを貰うためにもそれだけは済ませなければならなかった。

もちろん一睡もしていないが、不思議と眠くはなかった。

寧ろ、心はスッキリと晴れやかだった。

手術が無事成功し、安心したら空腹感が襲ってきたので軽く食事を取り、仕事を済ませた頃には午前6時半を過ぎていた。

そしてまた病院へ向かう為、そのまま妻の実家へと向かった。








手術当日はこんな感じでした。

当初言われていた手術後の4日間は気が気じゃありませんでしたが、それからの経過はとても順調で手術から12日後にICUから一般病棟へ移り、それから1週間後の今日、無事に退院することができました。

一年以内に異常が起こらなければ、その後は普通の人と同じように生活できるようになるでしょう、とのことです。

しばらくは通院のため妻と息子は病院に近い妻の実家で過ごしますが、今は3人で暮らすことをとても楽しみにしています。


最後までお読み頂きありがとうございました。




[ 2013/08/19 ] 日々のこと。 | CM(26)





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